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2010年7月19日月曜日

小沢一郎

小沢一郎は言う事とやることが違う、違うだけなら他の政治家でも良くあることで珍しい事でもなんでもない、ところが小沢一郎の場合、言う事とやることが180度違う、通常ならマスコミから袋叩きになって、とっくの間に政界追放となっていてもおかしくないがしぶとく生きている、不思議な事です。
小沢一郎は政治の理念というものを全く持ってないから、選挙の度にその時の都合によってばら撒きをやる。思うに現在の日本の閉鎖感は小沢一郎によって作らたのではないかと思ってしまう。民主党が選挙で勝った時、小沢一郎はこれでばら撒きを大々的にできる、私の権力はしぬまで安泰だと思ったに違いない。
小沢一郎は選挙で選ばれたら何をしても良いと思っている、だから政策を実行しょうとする時、又は変更するとき、必ず国民がという枕詞をつける。つまり極めてヒットラー的なのです。
小沢一郎は政治家でありながら(不動産をすることの対して大きな法的道徳的規制がある)、政治資金規正法の網の穴を掻い潜り、政党助成金を誤魔化してあれだけの財をなすのだから、不動産をしていたら巨大な財をなしていたのでは無いか、思うに道を誤ったのでは?
国民として小沢一郎を葬り去ることが出来ない事が、政治に対する不信感となり、しいては日本の閉鎖感に繋がり、日本の凋落に繋がっているのでは思う。
民主党は国民から自民党と同じと思われてしまうのは。政治と金の問題をクリア出来ないからです。クリアする為には小沢一郎を切らない限り不可能なのです。
検察審査会に全てを託すなんて政治家として恥ずかしくないのでしょうか。今回の不起訴不当に対して検察が再び不起訴にしたら今度は検察への不信となるでしょう。
(2010年7月19日)

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