迷信や似非科学は、安手な答を与え、懐疑的なチエックを拒否し、畏怖心を植えつけ経験を軽んじる様しむけ、そして人々を安直な道に誘い込み、多くの犠牲者を生み出しているのだ。
似非科学は人々の軽信性をくすぐり、しかも新聞、雑誌、本、テレビ、映画等がうかうかとお先棒をかつぐものだから、いたる所に転がっていて科学とまぜこぜになっており、よほど注意しないと騙されてしまう。そして似非科学もまた科学の進化に合わせ進化するものだ。
過って似非科学と科学は同じ物だったのだ、それが科学の発達とともに、科学の知識を持っている人にとって科学と似非科学ははっきりと分化したはずなのに、1部の人にとっては区別がつかない代物らしい。依って似非科学はいかに科学が進歩しようと無くならないだろう。
科学に比べると似非科学はお手軽である、なぜならできる事なら避けたい現実との対決はあっさりと回避されているからだ。議論のレベルも低い、根拠と証拠の基準が甘い、だからこそ科学よりも一般大衆に受けがよいのだ、いやそれだけでなく科学者も一国の大統領の一部でさえもあっさりと騙される事があるのだ。この事は人間の性かもしれない、ひよっとしたら似非科学は科学の進歩に貢献しているのかもしれない。
似非科学では精神的な餓えを満たしてやろう、病気を治してやろう、死んでも一巻の終わりではないと約束するのもある、願えば叶うというのもある。
念力でスプ-ンをまげる、宇宙人とチャネリングする、占い師、予言者、ダウザ-、心霊手術、空中浮揚、信仰療法、ESP、魔女、占星術、土占い、超越瞑想法、UFO、ポルタ-ガイスト、水晶占い、電気人間、心霊写真、念写、気功法、テレパシ-、予知能力、コックリさん、ミステリ-サ-クル、ネッシ-、透視、テレポション、宇宙人、雲消し男と適当に上げたけれど実際はこれの5倍はあるのではないだろうか。
似非科学は、誤りを含んだ科学とは全く別のものだ、科学には誤りはつきもので、その誤りを取り除き乗り越えていくのが科学なのだ。科学の仮説は、必ず反証可能な様に出来ている、次々と打ち立てられる新たな仮説は実験と観察によって検証される。
これと正反対なのが似非科学で、似非科学の仮説はどんな実験をしても反証不可能になっているのだ、つまり原理的にさえも反証出来ないのだ、懐疑的に調べ様としても妨害されてしまう、条件を変える事にも同意しない、他の人が反復実験も出来ない、失敗しても言い逃れする
。
似非科学を使う人は良く現在の最先端の科学技術を披露する、相対性理論、カタストロフィ理論、トポロジ-理論、ファ-ジ理論、脳波、遺伝子、量子論等の名前を使う、でもちょっとその内容に深入りすると、全く何も理解していない事が判かるのだ。その他の人は異次元の力が働いて、何かこう解らない力が働いて、第五の力が働いて(自然界には4つの力がある)、未知の力が働いて、テレパシィが働いて、脳波をキヤッチして、超能力が働いて、幽界の力が働いて、等々何のコッチャさっぱり意味不明。これらの理論を総称して「訳の分らない理論」という。
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