体罰は日本の常識であって世界の非常識なのだ、愛の鞭なんて言葉があること自体が世界の非常識なのだ。選手15名が日本柔道連盟に訴えたところ、日本柔道連盟は園田監督を呼び事情を聴いたそうだ、しかし日本柔道連盟は女子15名に対して事情聴取をしなかった。園田監督の事情聴取だけを行い少しだけまずいことがことがあったと判断し、始末書を提出、同時に日本柔道連盟は口頭による厳重注意をした。で終わらせようとした。
これってなんなの、例えて言えば泥棒がある家に入り現金を盗んだ、結局家人の通報により泥棒が逮捕された。家人は警察に100万円盗まれたと言っているのに、裁判では家人の訴えは全て無視し、裁判長は泥棒の意見しか聞かず、泥棒が言う「私は1万円しか取っていないという訴えをそのまま採用して執行猶予の判決が下されたと同じパターンなのだ。
兎に角今の日本の支配階級は何事もなく平穏に無事に、現在の地位保全を保つことに全力が行ってしまい、さざ波と大津波の区別ができなくなり、何の問題解決もできない、ただの月給泥棒になっているのだ。このことは問題発覚した責任者の言葉というものを聞いてみたらよい、問題解決に感銘したことが今まであっただろうか?
これらの問題の原因は公務員は責任は取らない、首にされないという根源に帰するのだ。公務員も間違いを犯したら首、働かないと首、仕事がなくなったら首、要するに民間と同じにしたら良いのだ。
あらゆる組織の上層部が民間、天下り団体を問わず、公務員の特権階級意識を真似している、そして公務委員の無能力化、痴呆化、無責任化が民間までを蝕もうとしているのが現在の日本なのだ。 公務員の改革なくして日本の再生はあり得ない。
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