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2013年2月4日月曜日

イジメと体罰と教育


私の人生で幸運だったのは、小学校の5年生で鶴亀算があり、チンプンカンプンだつた。もう忘れたけれど、何かの拍子に方程式というものを本で知った、極めて解りやすく。宿題の鶴亀算を方程式で解いた、その時の担任の先生に呼ばれて、どこで覚えたのだと聞かれ、何と答えたのかはよく覚えていないが、教えたこと以外の事をやるな!なんて怒られずに、褒められたのを覚えている。

 褒められる事により、算数が大好きになり、勉強は算数だけを集中的に行い、この後算数は私の得意な科目となった。勿論他の学科は全く出来ず。後に大学受験の時に国立大学受験は不可能となった(受験科目は5科目だから)。でも一応私立の大学を出ているので(算数=数学)が余程高得点だったのではないかと思っている。

 人間というのは褒められると「豚でも褒められると木に登ると」の通り異常な力を発揮する。これと逆に隷下のごとく俺のいう通りしろ、間違えば叩かれ、蹴飛ばされ、ある言葉で人間性を否定される、このような状態で反発及び逃避しか頭の中にある状態で能力を発揮できるはずがない。

 オリンピック強化合宿ではメダルに近い人から、メダルに遠い人からがおるはず。能力のないコーチはどこを苛めるかというとメダルに遠い人を苛めるのだ。だからマスコミに表立って出てこないのだ。(マスコミに出てくる人はメダルの可能性のある人だけだから)

 吉田松陰という人は兎に角人を褒めた、褒める所がなくても必死に考え、あらゆる理由をつけ「君はここが優秀?」だと褒めた。褒められて褒められて、かくして吉田松陰門下生が明治維新で重要な人材を供給したのは誰も異論はないはずだ。

 高橋直子のかっての監督小出監督、テレビで見たことがあるけれど、とにかく褒めることしかしない、「すごいよ、すごいよ」、「素晴らしい」、「世界一になれる」「お前は一番になれる」「絶対なれる」、ダメじゃないかと怒ったのを聞いたことがない。

 体罰ではなく言葉での叱咤でも、普通の人は耐えられなく、やる気をなくすだろう、体罰、暴言は何の良い効果を生み出さない。褒めらられば人間というのは木に登ってしまうのだ。

 なぜ日本で校長、教育委員会はいじめを隠そうとするのだ、アメリカだと瞬時に何億、何十億という損害賠償を起される。なぜ隠すかは罰則がないから問題を外に出そうとしないのだ、それに対しての罰則がないからだ。

 だから問題が起きて、それを隠そうとしてバレタラ、瞬時に解雇、そして刑事責任を追及できるシステムにするべきなのだ。日本というを国を動かしてい入る人、公務員、及び純公務員(例えば教育委員会)には何の失策の責任を問われないからだ。このシステムが日本の閉塞感を助長しているのは間違いない。

 問題を起してマスコミに出てくる校長、教育委員会、日本柔道連盟、JOCの「あほずら」を見ていると、なぜこのような馬鹿に給料を税金で払っているのかと思うと灰皿を投げつけたいと思うだろう。これこそが日本の衰退の象徴であり、日本の衰退の張本人なのだ。

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