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2011年8月21日日曜日

国会村、高級官僚村、大会社社長村、原子力村

日本人とアングロサクソンは何事においても、反対の文化であるような気がする。言語自身が日本語では長々と過程を述べてから結論に至る、さらに結論を出した後でも、その結論をひっくり返す事が出来るが、英語は先に結論ありきだから何故ならばの連続となる。この性質の違いは狩猟民族と農耕民族の違いに所以すると思う。

  農耕民族は何か起きた時、早急に結論を出す必要は無い。何故なら問題の対象物が農作物だから逃げない、じっくりと時間をかけて皆で相談するのだ、この中で中心人物となる人は皆の意見を聞き、調整して最良の意見を採用し行動する。しかしながらこの決定した事項に不都合が起きた時、その是正はなされない、何故ならその是正を行なうためには、全員の賛成が必要だから、諦めてしまうのだ。

  狩猟民族が獲物が現れた時、じっくりと時間をかけて皆で相談する暇なんか無い、獲物は直ぐ逃げてしまう。従ってこの場合誰か1人に全権を委託して、獲物が現れた時この1人の意見に全員が従って獲物を追うという仕組みが必要なのだ。

  日本(農耕民族)では官僚システムが出来上がり、安定化し社会が固定化しつつある。そうするとその中で、社会の中で利益を得ている者と、不利益を被っている者に分かれ始め、当然ながら社会の中で利益を得ている者は急激な変化は好まない。勿論日本社会は自由の国だから、能力があれば上に這い上がっていける。能力があるという事は、物事の本質が見えるという事である。

  大会社で考えてみると、上に這い上がっていく段階で如何なく能力を発揮するという事は、会社に改革を求めていく事になり、その改革が会社にとって命取りになる可能性もある。会社の上層部は、改革者より調整能力にたけた、温和で皆に好かれる人を上層部に引き上げるのだ、そしてこの人は順調に社長と成っていく。

 この社長は会社内の常識には良く理解しているが。社会の常識には疎い。だから会社が問題を起こし一般社会のルールの前に立たされると、とんでもない発言をするか、何をいっているか解らないことを言う。

 国会議員、高級官僚、大会社の社長の発言を聞いていると、社会常識からずれているため8割かた、何を言いたいのか、何を言っているのかが解らない。国会議員は選挙があるから一般の人たちとチョットは、会話をしているから高級官僚、大会社の社長よりはましかもしれない

 テレビのインタビューて答える中小企業の社長、一般の人、おばちゃん、おじいちゃん

皆話している事が良く解るし、中には本質をついた発言をする人もいる。最もテレビ局の方で選択しているから、中には変な人も居るでしょう、しかしこの事を考慮しても一般の人達の方が常識がある。何故そうなるかは国会議員、高級官僚、大会社の社長は一般大衆の常識の村から外れた別の場所の村に住んでからだ。

 今回の福島原発の事故を見ていても、独自の原子力村を構成しており、事故当時、事故処理全て原子力村への発言なのだ。原子力村以外の人達のことなど何も考えていないから、物事の先読みが出来ないのだ。問題が起きてから処理しょうとするから、後手後手に回るのだ。

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