ページ

2014年8月28日木曜日

靖国神社

明治政府は幕末から明治維新にかけて、国内外の事変、戦争、国事に殉じた軍人、軍属を英霊として東京招魂社として明治2年に設立され、明治12年に靖国神社と改名した。明治政府に功のあったということだから、明治政府と戦った旧幕府軍、奥羽越藩、西郷隆盛らは含まれないが、坂本龍馬、高杉晋作、安政の大獄の8人は含まれる。

靖国神社という名前は「国を平安(靖)にし、平和な国を作る。」という立派な目的があった。設立当時は兵部省が後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍、海軍が祭事を統括した。祭神は日露戦争以前に於いて「忠霊」「忠魂」と称されていたが、日露戦争以後は「英霊」と称し、軍国主義の宣伝機関の様になり、ついには第二次世界大戦では日本兵が戦友と別れる際、「靖国で会おう」という使われ方をするようになった。要するに軍国主義のシンボルになった。

1946年靖国神社は日本国政府の管理を離れ東京都知事の認証より単独宗教法人となった。要するに私の家の近くにある神社と同列になった。

今年も国会議員147人が靖国神社に参拝した、これって憲法違反ではないのか、憲法第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。○2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。○3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。国会議員は何を考えているのだろう。

19781017日靖国神社はA級戦犯14人「戦争受難者」として合祀した。靖国神社は民間だから何の問題もないが、ただでさえ憲法違反の疑いがあるのにA級戦犯の合祀によって問題を複雑にした。天皇の靖国神社親拝(2年から4年に1回)は昭和天皇による19751121日が最後となっている。この理由については、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたと考えられている。

1945726、ポツダム会談での合意に基づいて連合国を構成する国のうちイギリス、アメリカ、中華民国の3国により、大日本帝国に対して13か条から成る降伏勧告「ポツダム宣言」が発せられ、第10項の中に「我らの捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰が加えられるであろう」とある。即ちポツダム宣言を無条件で受け入れた以上、日本政府はA級戦犯を罪者とせず、公務死扱いにしているのはおかしい。国内法ではA級戦犯は無罪だという人が居るがこれもおかしい。

宗教的に中立な墓地として、国立千鳥ヶ淵戦没者墓地は海外での戦没者を追悼する為に、1959年氏名が判明しない遺骨36万柱が眠っている。一般邦人も含まれ、さまざまな宗派の人たちがそれぞれの流儀で読経している。

国立千鳥ヶ淵戦没者墓地は第二次世界大戦で死亡した全ての人まで拡充したら良い。国会議員は靖国神社参拝を、先の第二次世界大戦で日本国の為に死んでいった人たちを慰霊するのは当たり前だというが、靖国神社は日本の国家に尽くした人(軍人、軍属、軍の命令によって動いた人達)しか祭られていない、さらにA級戦犯が合祀されているから、彼らの戦争犯罪を讃え先の第二次世界大戦を合法化していると他の国から思われてしまう。
   
「日本の指導者は靖国神社への参拝をやめ、戦没者を祭る別の方法を探るべきだ。日本が戦争責任の問題を片付けていない。


 靖国神社は日本のかつての軍国主義の象徴といわれており、彼の行動は、日本の隣国を怒らせるに違いない。靖国神社は、すでに、日本の右翼勢力の精神的支柱と集会の場となっている

0 件のコメント:

コメントを投稿